2020年12月11日金曜日

紙芝居の革命


 まず始めに「なぜ、今紙芝居なのか?」とういことです。


まず紙芝居とは何なのか?すごくすごく簡単に説明したいと思います。

 

皆さんご存知の通り、

 

紙芝居は絵が描かれた紙を語りながら11枚めくっていくものです。

 

紙芝居は1930年に上記のスタイルになりました。

 

当時、紙芝居屋さんは貸元というところから紙芝居を借りて街頭で紙芝居をし、

 

それを見に来た子供たちに駄菓子を売って生計を立てていました。

 

1960年ごろからテレビが普及してシェアを完全に奪われました。

 

1970年ごろにはほとんど紙芝居屋さんはいなくなりました。

 

そして50年が経ちました。現在はというと細々とですが

 

紙芝居屋さんは元気いっぱいでやっておられます。

 

 

そもそもなぜ紙芝居はテレビにシェアを奪われたのか?

 

原因を探ってみました。

 

すると浮かび上がってきたのは大きな3つの問題点でした。

 

テレビにシェアを奪われた3大問題

 

問題点1

 

子供たちは無料でテレビを見ることができました。

 

一方、子供たちは小遣いをはたいて駄菓子を買わないと紙芝居を

 

見ることができませんでした。

 

小遣いと書きましたが子供たちにとっては大金です。

 

子供たちは娯楽を楽しむためには大金をはたかなければなりませんでした。

 

中には小遣いがなくて紙芝居を見ることができなかった子供たちもいた


でしょう。

 

しかしテレビは無料で毎日、娯楽を楽しむことができました。

 

テレビは小遣いを持っている子供たちや小遣いを持っていない子供たちをも

 

取り込むことができました。

 

 

問題点2

 

テレビは動きがありました。

 

紙芝居は動かない絵でした。

 

紙芝居は冒頭の説明の通り絵が描かれた紙を語りながら11枚めくります。

 

紙を揺らしたり早く引いたりと多少のテクニックはありましたが絵は動きません。

 

テレビは鉄腕アトムなど動く絵、アニメーションが登場して子供たちを虜に


しました。

 

 

問題点3

 

テレビはおもしろかった。

 

紙芝居は小遣いをはたいてまで見るほど

 

おもしろくはなかった。

 

テレビが普及しだすのと同じく紙芝居は廃れだしました。

 

そして追い打ちをかけてマンガの台頭があり、多くの紙芝居を描く人がマンガ家に

 

転向していきました。

 

新たに作品を描く人もいれば紙芝居で人気だった作品も多数マンガになりました。

 

例としてゲゲゲの鬼太郎、水木しげる氏です。

 

もし紙芝居が無料で見ることができ、才能ある紙芝居作家がマンガに流れずに

 

動かない絵でテレビより面白い作品を発表していれば

 

(実際動かない絵、マンガは面白い!皆さん同意しますよね?)

 

紙芝居とテレビの関係は今と違っていたかもしれません。

 

 

 

紙芝居の起源から今

 

紙芝居のルーツは、平安時代の『源氏物語絵巻』であるという説がある。

 

絵巻の「東屋」の段に物語絵を見ながら、語り手の話を聞く場面が描かれており、

 

これが紙芝居の構造に似ているという。(ウィキペディアから)

 

江戸時代、明治、大正、昭和の時代の変遷とともに、のぞきからくり、写し絵、

 

立絵紙芝居そして平絵紙芝居(1930年誕生)と紙芝居は進化していきました。

 

空前の紙芝居ブームがあり廃れていきましたが今も進化を続け脈々と私たちの世界に

 

溶け込んでいます。

 

 

紙芝居はすごい3大ニュース

 

ニュース1

 

紙芝居は世界にはない。

 

紙芝居があるのは日本だけなのである!

 

紙芝居のルーツは平安時代と言う説があり日本発祥の文化でです。

 

日本の文化として独自の進化を遂げました。

 

1930年に誕生した今の紙芝居のスタイルは世界にはない

 

日本だけの唯一の文化なのです。紙芝居は世界にはないのです。

 

日本人には紙芝居があまりにも自然に溶け込んでいるため気付いていないのです。

 

 

ニュース2

 

紙芝居から誕生した『黄金バット』が

 

世界で最初の空を飛ぶヒーローなのである!

 

世界で最初の空ぶヒーローはスーパーマンやバットマンだと


私たちは思っています。

 

そのスーパーマンは1938DCコミックに初めて登場します。

 

バットマンは1939DCコミックに登場。(ウェキペデイアから)

 

黄金バットは1930に誕生しました。

 

紙芝居のヒーロー『黄金バット』はコミックのヒーロー『スーパーマン』より

 

7年も前に日本に存在していたのです。

 

「紙芝居と言えば黄金バット、黄金バット言えば紙芝居」と言われるくらい

 

子供たちに絶大な人気がありました。

 

黄金バットいうヒーローはどんな姿かと言うと

 

黄金のどくろの面で、真紅のマントをまとい、常に紅こうもりの大群


ともなって登場します。

 

黄金バット(黄金こうもり)は、赤いマントをまとい空を飛ぶスーパンマン


よりも前に赤いマントをまとって空を飛び、こうもりをモチーフにした


バットマンより前にこうもりの大群を伴って登場する。

 

余談ですが私の仮説を言います。

 

紙芝居のヒーロー『黄金バット』はネットのない時代アメリカまで


伝わるのに7年かかった。

 

どくろはアメリカでは不吉で忌み嫌われているため

 

そのままの姿では受け入れられない。

 

スーパーマンは黄金バットから赤いマントで空を飛ぶスタイルを受け継ぎ

 

バットマンは黄金バットの名前を受け継いだと考えられるのでは


ないのでしょうか。空を飛ぶヒーローは日本では鉄腕アトムに始まり


ウルトラマン、アンパンマン、そしてドラゴンボールに受け継がれていく。

 

日本では各世代に空を飛ぶヒーローが存在するのである。

 

映画の興行収入世界一となった大ヒット映画


「アベンジャーズ エンドゲーム」の主役アイアンマンも空を飛ぶ。

 

今や空を飛ぶヒーローは全世界に受け継がれているのである。

 

紙芝居のヒーロー『黄金バット』が誕生していなければ


スーパーマンもバットマンも鉄腕アトムもウルトラマンもアンパンマンも


ドラゴンボールもそしてアベンジャーズも誕生していなかったかも


しれないのでです。

 

 

 

ニュース3

 

紙芝居は無限の可能性を秘めている!

 

紙芝居は無限の可能性を秘めています。

 

今も進化を続け脈々と私たちの世界に溶け込んでいます。

 

例として2019年のR1ぐらんぷりを優勝したのは霜降り明星の粗品さんでした。

 

フリップをめくりながらフリップにツッコミ、笑いを取るというスタイル


でした。

 

紙芝居の形式を取り入れたフリップ芸は

 

紙芝居+芸人

 

でR1を取ったのです!

 

日本一の笑いを取る男が紙芝居を選んだのです。

 

もしフリップ(紙芝居)なしでほかのものを使ってR1を取ることが


できたでしょうか?

 

スピーディな話術+スピーディな視覚でおもしろい絵。

 

この視覚的なアイテムで紙芝居のほかにあのスピーディさは


機械では表現できません。

 

この今の時代に紙芝居が機械に勝ったのです。

 

最新のものが最高とは限らない

 

他にも紙芝居を取り入れたものは『激レアさんを連れてきた。』という番組


紙芝居を使い番組進行をしています。

 

ほかにもCMで紙芝居が使われています。(auの鬼ちゃんとか)

 

本当に私たちの世界に溶け込んでいるのです。

 

以上紙芝居の問題点とすごいところをわかっていただけたと思います。

 

スタジオしあわせは日本唯一の文化、紙芝居を今この時代に溶け込ます


のではなく紙芝居として皆様にお届けすることができないだろうか


と考えました。

 

まず大きな問題点に取り組むことにしました。

 

 

取り組み

 

問題

 

子供たちに小遣いをはたいてもらい駄菓子を買わないと紙芝居を

 

見せるこができませんでした。

 

 

答え

 

ユーチューブで紙芝居を無料配信して子供たちに見てもらう。

 

廃れてから50年やっとインターネットの時代が到来しユーチューブという

 

全世界で、しかも無料で届けられることが可能になりました。

 

これでテレビと同じ条件になりました。

 

(無料は同じでも全世界に届けられるところでは


ユーチューブの方が勝っています)

 

 

問題

 

紙芝居は動かない絵でした。

 

答え

 

あらゆるエンターテインメントの技法を取り入れる。

 

紙芝居は動かない絵です。

 

50年前の紙芝居には技法的には揺らして引っ張る素早く引っ張るなどの技法と

 

一部映画の技法などが取り入れてありました。

 

50年経った現在、マンガやアニメ、映画の技法も進化してきました。

 

詳細は控えますが紙芝居は現在の進化したマンガやアニメ、映画の技法を

 

すべてとは言いませんが取り入れることができるのです。

 

これらの技法を取り入れた紙芝居は50年前の紙芝居とは全く違った紙芝居に進化

 

しています。

 

再度言いますがすべてのジャンルの技法を取り入れることができる強み。

 

この強みは他のジャンルに比べて類を見ないのです。

 

問題

 

紙芝居はおもしろくない

 

答え

 

おもしろい、全く新しい完全オリジナル作品を創る。

 

紙芝居を現在に発信するとなると50年前の作品を使うとなるとほとんど

 

元本が残っておらず作品の内容も時代的に厳しいと思われます。

 

だったら今あるもの、アンパンマン、ドラえもんなどを使うのは


著作権的に無理です。

 

それにもうすでにアニメとしてテレビでやっています。

 

スタジオしあわせが導き出した答えは

 

おもしろい、全く新しい完全オリジナル作品を創る

 

ということです。

 

以上の問題から出した答えを集約して完成したのが

 

『かみしばいTV』と『かみしばいムービー』です。

 

 

スタジオしあわせは世界中まだ誰も体験したことがない

 

新しいエンターテインメントを届けます。

 

※エンターテインメントは人々を楽しませる娯楽を指す。(Wikipediaから)

 

 

 

PS.

 

『かみしばいTV』と『かみしばいムービー』はあらゆる


アニメ、マンガ、映画にリスペクトしています。


またアニメ、マンガ、映画の技法もふんだんに取り入れており


そして本来の紙芝居の技法も当然取り入れています。

 

全く新しい紙芝居として見ていただければ幸いです。

 

この紙芝居が新しいジャンルとしてみなさまに受け入れられるのであれば

 

紙芝居界の黒澤明、宮崎駿、新海誠、手塚治虫、鳥山明、


岸本斉史、尾田栄一郎、吾峠呼世晴、やなせたかしなどの若き才能が


近い将来出てくる可能性があります。

 

それを切に願います。それが現実となる第一歩として

 

『かみしばいTV』と『かみしばいムービー』をみなさまに贈ります。

 

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2019年11月16日土曜日

『空を飛ぶ世界で最初のヒーローは?』


「空を飛ぶ世界で最初のヒーローは?」と言うとほとんどの人が
「スーパーマン」と答えるだろう。
世界で最初のヒーローとネットで検索すると出てくるのはスーパーマンである。
スーパーマンはみなさんご存知の通り赤いマントをまとい空を飛ぶ。
そのスーパーマンは1938DCコミックに初めて登場する。(ウェキペデイアから)
ちなみにバットマンは1939DCコミックに登場。
このスーパーマンから空を飛ぶヒーローの歴史が始まる。
空を飛ぶヒーローは日本では鉄腕アトムに始まりウルトラマン、アンパンマン、そしてドラゴンボールに受け継がれていく。日本では各世代に空を飛ぶヒーローが存在するのである。
映画の興行収入世界一となった大ヒット映画「アベンジャーズ エンドゲーム」の主役アイアンマンも空を飛ぶ。今や空を飛ぶヒーローは全世界に受け継がれているのである。


それでは再度正確にみなさんに質問させていただく。
『空を飛ぶ世界で最初の本当のヒーローは?』
みなさん 「ン?」となっていると思われるが実は空を飛ぶ世界で最初の本当のヒーローが存在するである!
スーパーマンより7年も前に空を飛ぶヒーローが存在していたのである。
しかもこの日本に!
そのヒーローとは...

そのヒーローとは、紙芝居から誕生した『黄金バット』である!

黄金バットはスーパーマンより7年も前の1931年に紙芝居に登場していたのである。
ちなみにバットマンより8年も前の登場になる。
黄金バットは鉄腕アトム世代より前の日本の全国の子供たちに絶大な人気を誇っていた。
黄金バットいうヒーローはどんな姿かと言うと
黄金のどくろの面で、真紅のマントをまとい、常に紅こうもりの大群をともなって登場する。
黄金バット(黄金こうもり)は、赤いマントをまとい空を飛ぶスーパンマンよりも前に赤いマントをまとって空を飛び、こうもりをモチーフにしたバットマンより前にこうもりの大群を伴って登場する。
「紙芝居と言えば黄金バット、黄金バット言えば紙芝居」と言われるくらい人気があった。
これがほとんどの人に知られていない事実である。

紙芝居のヒーローはコミックのヒーローより7年も前に誕生していたのである。
これから語ることは私の仮説である。
紙芝居のヒーロー『黄金バット』はネットのない時代アメリカまで伝わるのに7年かかった。
どくろはアメリカでは不吉で忌み嫌われているためそのままの姿では受け入れられない。
スーパーマンは黄金バットから赤いマントで空を飛ぶスタイルを受け継ぎ
バットマンは黄金バットの名前を受け継いだと考えられるのではないか。
ただの偶然でこの仮説を否定できるだろうか?
また偶然でもここまでの偶然があるのだろうか?

しかし偶然だろうが必然だろうが紙芝居のヒーロー『黄金バット』はコミックのヒーロー『スーパーマン』より7年も前に日本に存在していたという事実は誰も疑いようがないのだ。


紙芝居のヒーロー『黄金バット』が誕生していなければスーパーマンもバットマンも鉄腕アトムもウルトラマンもアンパンマンもドラゴンボールもそしてアベンジャーズも誕生していなかったかもしれないのである。


以上、私の仮説が正しいかどうかはみなさんの判断に任せることにする。

追伸
スタジオしあわせの作品にかみしばいムービー『しあわせのだいぼうけん』がある。
その主人公しあわせは空を飛ばないが赤いマントをまとっている。

しあわせは紙芝居のヒーローの正統な後継者なのである。

2019年4月21日日曜日

『誰も知らないプリンス、真のメッセージ』


プリンスが亡くなって3年。
亡くなった当時たくさんの音楽雑誌が特集をしたり追憶本が出た。
しかしどの雑誌や本にもプリンスの真のメッセージが書かれていなかった。
プリンスの真のメッセージは作品の中に散りばめられている。
人々は曲がどうとかヒットしたとかなどなどミュージシャン・プリンスとしての評価ばかりで人間としてのプリンスのメッセージを今まで誰一人語るものがいなかった。
私は時々こんな話を思い出す。
「賢者が真実を指さした。しかし人々が見ていたのは賢者の指先だった。」
これから語るのは私個人の見解であり妄想である。

プリンスの作品の中でしばしば生まれ変わりに言及している作品がある。
一番代表的なのはフィギアスケートの羽生結弦選手がSPで採用したことでも知られている曲『レッツ・ゴー・クレイジー』である。
この曲の始まりの語りの部分

愛する人よ
われわれは人生を生きる
人生は長い長い道のり
だが待て
来世がある

(映画『パ-プル・レイン』の中の日本語訳)

この曲はシングルカットして全米1位を記録、この曲が収録されているアルバム『パープル・レイン』も1984年に全米1位を記録。世界的大ヒットをしている。
みんなはこの曲の歌詞「来世がある」を比喩としてプリンスは歌っているととらえている。しかしプリンスは言葉通り事実として「来世がある」と歌っているのである。愛する人へ。
注意)これはあくまでも来世が実在するのだといこうことではなく、プリンスが「来世がある」と個人的に信じているということである。これは私の個人的な見解であり私自身来世があると信じているわけではない。またそれを肯定するために語るものでもない。


1988年発売アルバム「ラブセクシー」はテーマが『再生』と言われている。
言葉通り「再び生まれる」である。

生まれ変わりについて調べてみると唐突だが12千年前に滅んだ超古代文明アトランティスまでは人は両性具有であり人とイルカで生まれ変わりを自由に選べていたとある。
しかしアトランティス崩壊後、生まれ変わりは、人は人で生まれ変わりイルカはイルカで生まれ変わり、性別も男と女に分かれたという。
「本当かあー?」、「胡散臭い、マユツバものだ!」とみなさんはそう思うだろう。
私もそう思う。
プリンスの曲にこれを語ったものがあるかどうか調べてみるとなんと1995年発売アルバム「ゴールド・エキスペリエンス」に収録されている曲「ドルフィン」があった。

もしイルカになって戻ってきたら
君は僕の言うことを聞いてくれるかい
(中略)
君に泳ぎ方を教えてもらう前に死んでしまうんだ
そしてイルカになってまた戻ってくるのさ
(中略)
僕は戻ってくるよ ベイビー
僕を受け入れて 友達になっておくれ
イルカ
イルカとして

そして両性具有についてはプリンスが改名後読み方がわからないシンボルの形がそれだ。
男の記号と女の記号とト音記号とラッパの記号をミックスしたものだ。
この改名後第一弾としてアルバム「ゴールド・エキスペリエンス」が出ている。

生まれ変わりの特徴で前世の才能や能力を来世にも持ち越せることがあると言われている。
天才といわれる人がそれで前世でその才能や能力をマスターしていることで今生にそれが生かされているというものだ。
ウェキペデイアではプリンスは27種類以上の楽器が演奏できるとし曲も膨大な数があるとされている。この人間離れした演奏能力、作曲の才能はこの説から考えるとプリンスは前世は音楽家だと推測できる。ではプリンスは前世はどんな音楽家だったのだろうか?プリンスは生まれ変わりを信じていたとしたら自分の前世は誰だったのかどんな音楽家だったのか知っているはずだ。そしてプリンスはそれを私たちに何らかのメッセージとして送っているはずだ。
プリンスは27種類以上の楽器が演奏でき、曲も膨大な数を作っている。曲作りのスピードはとても早いという。昔に存在したプリンスに似た天才的な音楽家は一体誰だろか?ヴェートベンは努力の人というイメージがする。一般の人が思う天才的な音楽家と言えばやっぱりモーツァルトではないだろうか?この仮説でもう一度プリンスのアルバム及び曲を調べてみる。すると気になるアルバムがあった。
1994年発売アルバム「プリンス19581993 Come」だ。
このアルバムが当時プリンス名義では最後のアルバムになっている。
プリンスは「プリンスは死んだ。」といいそれから読み方がわからない記号の改名 をする。
このアルバムのタイトル名、普通なら「Come だ。しかしアルバム名にあえて「プリンス19581993」と入れている。プリンスは1993年に死んだということだ。「プリンスは死んだ。」と宣言しているのだ。では一体プリンスは何歳で亡くなったのか?それは享年35歳である。プリンスの前世は35歳で亡くなったプリンスに似た偉大な音楽家だ。それがヒントだ。
まさかとは思いモーツァルトの亡くなった年齢を調べてみると、な・な・何と!

35歳!

プリンスはメッセージとして
「おれはモーツァルトの生まれ変わりだ!たくさんの楽器が演奏できて曲もいっぱいつくっているんだ!みんな気づけよ!」といっているのではないだろうか。
これを本当に他人に言ってしまうと「頭おかしいんとちゃう?」と思われるのがおちだ。
だからわかる人にはわかるようにあえてアルバムのタイトルに「プリンス19581993」を入れたのである。


プリンスは「レッツ・ゴー・クレイジー」で
「来世がある」と歌っている。
生まれ変わりの統計で最短で死後10ヶ月後に生まれ変わるとしている。
プリンスが亡くなって3年が過ぎた。
もしプリンスが最短で生まれ変わっていると仮定するならば10年後20年後に
沢山の楽器が演奏できて沢山の曲が作れてしかも踊って歌も歌える人間が出てくるはずである。
プリンスの真のメッセージ、それは
「僕はまた君に会うために戻ってくるよ。沢山の楽器が演奏できて沢山の曲が作れてしかも踊れて歌も歌える人間として!だから僕の死を悲しまないで」と。
以上は私個人の見解であり妄想である。

最後に私のメッセージを贈ります。
  
プリンス ありがとう さようなら また会う日まで